ロティ・マロスの秘密
 

ロティとはパンのこと。ジャム(これはカヤ[kaya]と呼ばれ、果物は使わず、卵、白砂糖、ココナッツミルクを時間かけて練って作ります)の入った何の変哲もない山型モコモコのパンが、4〜5年前までは飛ぶように売れていました。

ロティ・マロス(Roti Maros)または短縮形のロマ(Roma。ミルク・ビスケットの名前にも同じのがありますね)を看板に掲げたお店が、マカッサル市内から空港、マロスへ向かう道路沿いにたくさん見かけます。夜に街道沿いを走ると、パロポやマムジュに向かう長距離バスが列をなしてロティ・マロス屋の前に停まっていて壮観です。

マロス周辺だけではありません。南のゴワやタカラールへ向かう街道沿いにも、遠く離れたルウ県のパロポにも、東南スラウェシ州のコラカにも進出しています。

ロティ・マロスの起源については諸説ありますが、日本軍がこの地を占領していた1940年代に始まるといわれます。またなぜか、パン屋さんにはスラヤール出身者が多く、車を引いてマカッサル市内を売り歩いていました。以前はロティ・カヤと呼ばれていました。私の華人系のアシスタントによると、カヤ作りでは海南出身の華人が名高くもしかしたらロティ・マロスの出自と関係があるかもしれません。

脱線しますが、インドネシアのパンは全般に甘いですよね。ジャカルタにはスイス、ホランド、デリシャスといった植民地時代から続くパン屋がありますが、この甘いパンを作るようになったのは日本軍が入ってきてからだと聞いたことがあります。もっとも、この話が本当かどうかは知りません。

亡くなった親の遺産を引き継いだ息子夫婦が1994年頃からロティ・マロスを本格的なビジネスとして展開し始めました。狙いはバスやトラックの運転手に常連になってもらうこと。最初は10人の運転手でしたが、話が運転手仲間にどんどん広まって、今や常連が300人以上になったそうです。客を紹介したり連れて来たり運転手には、ロティ・マロスだけでなく、飲み物も付けてタダで運転手に渡すのだそうです。

有力店の一つロティ・マロス・イスタナは1973年に営業開始、40人の従業員を雇っていて一日の売り上げが約700万ルピア、小麦粉を一日に25袋使いきるそうです。味の決め手、カヤの作り方は「企業秘密」です。経済危機のなかでの商売繁盛でした。

ロティ・マロスは成功した息子夫婦の兄弟や家族が真似して別に作り始め、どんどん広がっていきました。家族や知人のネットワークを利用してフランチャイズ化し、バスの運転手を標的にして乗客をお得意さんにしていきました。スラウェシの田舎へ帰る人々のお土産として、ロティ・マロスは絶大なる地位を築くに至ったのです。
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